大会はもっとお金をかけずにできる
中島:ところでさ大会参加費って例えば大学の春の大会っていくら払ってるの?
小林:1試合5万とかですかね。
中島:1試合単価ならまだ良心的だけど、トーナメントで負けて一試合しかやってないのに10万もとられるって結構あるみたいだよね。
大会一つ出すとすごい予算がくうからできないって言うじゃない?
でも、常識で考えて一回の試合2時間、郊外にいったらリンク3万から4万で借りれるでしょ。それでリンク代OK。レフリー1人5000円。3人で1万5000円。オフィシャルも当番制にしたらかかんないし、極端な話、4万5000円で1試合。じゃ2チームで2万2500円、20人ずつのベンチ入りだったら約1000円でできる。
たとえば大学Bグループとかビアリーグのおじいちゃんとかやっぱり試合がやりたいって思ってるし、大会を作るってそんな難しくないんじゃないかなって。東京だとリンクの貸切とか難しいかもだけどね。
カナダでのビアリーグの中島さん前列右
中島:カナダとかは週末リーグがあって、どっかの週末にリンクがっちり抑えて、金土日予選リーグと決勝トーナメントやってそれで終わるみたいな。それがすごい俺にとっては斬新だった
大会増やすって今まで、連盟が何をして、こうしてだのやってたけど、そういう今までの手順があるからこそ、簡単に考えれば一人1000円出せば試合できるのになって。
シニアでも楽しくホッケーができるビアリーグ
小林:確かに。一人1000円で1試合ですよね?ガンガン試合でます!笑
中島:俺らは音楽ながしたり、ハイライトながしたり、スタッツつけたり、そういう付加価値をつけながらやってるんだけど、それでもまあ一人1500円くらいの単価かな。試合がやっぱり一番楽しいじゃない?
カナダのビアリーグ行っておじいちゃんたちに笑われたのが、
「なんでおじさんになってるのに練習してんの?」
って言われた。カナダ人は一切練習しない。まず大人がリンク借りて練習するってまずあり得ない。
「何を目指してんの?」って彼らに言われて、「やっぱ試合で勝ちたいから練習するんじゃないの?」て答えたら、「いや、試合で勝ちたいのはいいけど、今更ダッシュとかするわけ?」って言われた。「じゃあ、どんな練習してんの?」って聞かれて、
「社会人の一般的な練習だと、まずローリングして、それで1対1とか2対2とかして、後半試合してる」っていったら、
「だとしたらウォームアップ5分してあと全部普通に試合してあとレフリーつけてやったらいいんじゃない」て言われて、
「確かに!」
って思った。なんのために練習やってんだろうって思ったら、たぶんそれがずっと常になってきたからなんだろうなって思う。
「今日は練習だからいいや、いかねー」って人も一杯いて、せっかく練習なのに人いなくて成り立たない社会人のチーム、よくあるよね?
ほんとにそれをカナダ人にいわれるまで俺も気付かなかったからね。
ボディーチェックもやったりして、それで君たち何目指してんの?とも言われた。ボディーチェックで一億円プレーヤー目指してるの?って。
いやいや会社もあるし、子供もあるでしょ?そこの部分だけ取り除いて、スキルだけのホッケーも面白いんじゃないっていわれて、そうだよなーって思った。思えばそれが、ビアリーグ構想の最初だった。
昔はホッケーがつらかった
江南高校。後列右から4人目が中島さん
小林:中島さんはいつから指導をしようと思っていたんでしょうか?
中島:小2でホッケーはじめてのほほーんと続けていって中2で早稲田の合宿を釧路で見たんだよね。そのときにかっこいいと思って。で御袋が昔早稲田に行きたかったって話を聞いてた話を子ども心に残ってたのもあるけど、中2で早稲田にいく目標ができた。
早稲田に行きたいから江南高校っていう高校に行って全国優勝できれば早稲田にいけるって中2の時に知ったの。俺らインハイとセンター試験思いっきりかぶってるから、受験って選択はなかったから、高校に入る前から推薦狙いで高校入学した。
小林:江南のときの成績はどんなでした?
中島:1年生全国3位、2年生2位、3年生優勝、ジャパンもアンダーは入ってた。それで早稲田に入れて、でも早稲田落ちたらカナダに行こうと思ってた。
たまたまある企業がカナダに進出してて、ホッケーも出来て、ホッケー防具を販売するためにマネージャーを育てたいっていって、なぜか俺に話が来た。
選手ではないけど、企業の主力として・・・みたいな。それでUBC(University of British Columbia)に通わせてくれる費用も全部払ってくれるって話が実はあって・・・
小林:その時から実はあまり「選手」になることにこだわりはなかったんですね。
中島:ない!自分の中でね、俺よりうまい選手一杯いたし、自分をうまいと思ったこと一度もないし、で、一番はホッケー嫌いだった。
これ結構激白だけどホッケー好きじゃなかった(笑)
なんかね辛くて、インハイ優勝したときだけかな、やっててよかったなと思ったのは。なんか流れの中でやってたし、辞めるって選択肢もなかったし、ずっと楽しめてなかった。
江南高校での全国制覇
中島:ミスが怖いし、ミスしたら何してんだよって言葉も嫌だし、性格的にたぶんもともとくそ根性あるタイプじゃないんだよね、だから味方をヤジるのも大嫌いだったし、トップアスリートにはなれないってわかってた。
例えば仲良い子が相手チームにいたら、うまくなりたい子とかトップの子は関係なくがっつりチェックしにいくけど、俺はそれができなかった。けど相手にはやられたりね(笑)俺こういう世界は向いてないなって自分でわかってたつもり。だから楽しかったかっていうと楽しくなかった。
だからこそ、カナダでビアリーグに出会って、ホッケーしてたときに本当に楽しくて、この楽しさをもっと日本でホッケーやる人にも広めたいなと思ったんだ。
早稲田大学で
中島:早稲田2年目くらいに2チームくらいから声がかかってたのだけれど、世界のトップをまず見ないといけないなとはその頃から思っていた。だから俺はカナダにいってコーチングライセンスとって、教員になって子供達を教えるんだ!って思ってた。自分がプレーするより、教える方がセンスがあると思ってた。大学で教育実習でやったときも、どう教えて、どういう言葉を使ったら伝わるのかなってずっと考えて試したり、それで生徒とすごく仲良くなって話して・・・。それがすごい楽しかった。
早稲田大学2