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明治大学 大津晃介×大椋舞人“あいつが俺を、強くした”

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【明治大学 大津晃介×大椋舞人“あいつが俺を、強くした”】

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2人の“アイスホッケーを愛する男”が出会ってから4年が経つ。 ともに順風満帆だったわけではない。それでも、視線の先に互いの姿があったから、4年間走り続けてこられた。

大学最後の大会を3位で終えた夜、2人は互いの存在をこう述べた。

「謝りたい気持ちでいっぱいですね。晃介を決勝に行かせてやれなかったから。その気持ちでいっぱいですし、本当に申し訳ない思いです。でも、あいつと出会えて良かったと思うんですよ。この4年間、自分だけではレベルアップしなかった。あいつがいて、ともにやってくれる人がいたから、自分もちょっとは上手くなれたと思う」(大椋)

「舞人はプライドの高い選手で、気が難しいところがあって、自分にも周りの後輩にも厳しくて。彼は一流になれる選手だと自分は思って、舞人の実力に嫉妬したり、舞人が活躍するともっとやらなくちゃ、もっとできるんだ、俺は一番になりたいんだと、ずっと思わせてくれていたのは舞人がいて、舞人の活躍があったから。舞人のお陰でここまで来れて、キャプテンとしての自分を支えてくれたのが舞人で、いつでも甘かった自分に代わって厳しい指導をしてくれたのが舞人で、明治に一番必要な存在が大椋舞人だったと率直に思う」(大津)

出会いは偶然であり、必然だった。日光明峰のキャプテン大津晃介と、白樺学園のキャプテン大椋舞人。高校でも日本一を争った2人が、明治大学の門を叩いた。「初めて明治の試合を見たとき、これはNHLだって。もうあの時、自分は明治に行くしかない、行きたいと思った」(大津)。4年前初めて会った時、2人の目はきらきらと輝いていた。2012年4月14日、大学初の公式戦で2人は鮮烈な印象を残した。大津が3得点を決めれば大椋は2得点4アシスト。期待通りの、いや期待以上の活躍だった。大学1年目、大椋は春の関東大学選手権で最優秀新人王に、大津はインカレで得点王に輝いた。チームに新たな風を吹き込んだ2人は、いつしかチームを背負う存在となった。

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噛み締めた悔しさ、敗北のなかにあった充実感、自分を高めたいという思い…。入学当初から同期で集まれば、自分たちの年は必ず勝って終わろうと話した。しかし迎えた4年目、インカレを前にしたチームは無冠だった。「後輩に勝ったときの喜び、勝つことの貪欲さを教えたい。それが最後の自分たちの役目。後輩たちのために優勝を残したい」。2人はその一心で最後のインカレに臨んだ。だが準決勝、大津がゲームミスコンダクトペナルティでゲームアウトとなると事態は一変した。リードしていたが追い付かれ延長戦になっても決着は着かなかった。

「入学してから晃介とはずっと一緒にいた。同期だがいいライバルであり、ぜんぶ争ってきた。頼れるのは晃介だと思っていたが、最後の大会のインカレであいつはいなくなった。自分も少し動揺したが、あいつの分まで頑張らなきゃあいつの分までならないと思った。あいつを決勝に行かせる。その思いだけだった」(大椋)

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GWS4巡目、後攻日体大の松野がパックを沈めると、決勝への道は絶たれた。ベンチで見守ることしかできなかった大津は崩れ落ち、頭を抱えた。

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大学最後の試合を翌日に控えた夜、2人は別の場所で、互いの胸中を想った。

「晃介がいなくなったらもう自分しかいないと思ってまとめようとしたが、今まであいつがキャプテンをやってきた分、自分では物足りない部分があったし、やっぱりあいつがいなきゃ駄目だと思うシーンもいっぱいあった。その点ではやっぱりあいつがチームの中心だと思った。本当に決勝まで行かせやりたいと思ったが、負けて、本当に悔しくて、泣いてしまって、誰からの声も聞こえなくなった。昨日は晃介ともしゃべれなかった。顔も合わせられず、申し訳ない気持ちでいっぱいだった」(大椋)

初めて、大椋の涙を見た。これまで悔しさに涙をこらえることはあった。それでも涙を目にしたことはなかった。静かに涙を流しながら、今なお、心は霧降のリンクにあるようだった。大椋は部屋で一人寝たきりとなっていた。時折ぼんやりと顔を上げては頭から布団を被った。その繰り返しだった。どうしても試合のことが頭から離れなかった。気付けば時計の針は朝の5時を回っていた。

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一方、大津の姿はどこにも見当たらなかった。日付が変わろうとする頃、大津は誰もいないロビーに一人現れた。無駄なものが落ちたような、すっきりとした表情だった。不安も怒りも脱ぎ捨て無心で戦う。そう決意したかのような顔だった。

「自分から招いた不幸で、こんなに苦しくてこんなに辛い気持ちになったのは初めてだった。自分が馬鹿だったと思うし、後悔してもし切れない。舞人の顔を見れば今どんな気持ちなのかも分かるし、舞人がどんなことをしたいか分かるくらいずっと一緒にいた。今日の負けは自分の責任だと言うくらい彼はプライドが高い選手ですし、それも分かっているので。自分がいなくなってからあそこまで舞人に背負わせてしまって、最後のPSも背負わせてしまって、苦しい状況だったと思う。自分は自分が情けないですし、キャプテンという存在としてあそこにいられなかったことが一生の悔いです」(大津)

長い一夜を越え、最後の朝を迎えた。会場に向かうバスのなか、大津は必死で今年1年を振り返っていた。

「八戸から春の合宿を経て、大会に向かい、夏の合宿、秋の長いリーグ、すべてを振り返ってみて、自分がチームにできたキャプテンシーはかすかな、小さなものだったかもしれない。それでも後輩たちは強く光ってくれていたような気がした。自分がキャプテンとしてやってきたことはちっぽけなものだったかもしれないが、それを後輩たちが認めてくれて、同期も認めてくれて、幸せなキャプテンだったと思った。だからこそ最後の試合、自分ができることは何かと探った」(大津)

どん底にいた2人を、4年生を支えるため、後輩たちが一丸となった。

「皆、元気ないよ?勝つ気あるの?相手東洋だよ?気合い入れていかないと勝てないよ!皆元気よくいくよ!1、2、3、よし」。試合前、最後の円陣で大津に指名された3年相木健太はチームを鼓舞した。するとチームに笑顔が戻った。午前9時、試合は定時通り始まった。「気持ちを切り替えたつもりだったが、最初のほうは全然切り替わっていなかった。それでもみんなが自分に声を掛けてくれて本当に助けられた」(大椋)。第2ピリオド、3年高木俊吾の初ゴールが決まるとベンチは歓喜に沸き、明治のホッケーは息を吹き返した。試合時間残り1分、キルプレーのなか、選手全員がリンクへ4年生を送り出した。
「終わるんだなとも思ったが、そんなことよりもこのキルプレー自分たちが絶対守ってやると思った。いい形で終わるにはここで一失点したら駄目だって、体を張ってでも守ってやると思い最後の1分リンクに立った」(大津)。そして試合終了のブザーが響いた。場内に響く歓声と拍手は、熱気と温かさに満ちているようだった。ともに歩んだ4年間が幕を閉じた瞬間、大津の目には涙が溢れた。

最後の大会を終えたチームのなかに、2人のいつもの笑顔があった。2人にとって最後の2日間が、互いの存在の大きさをより強く感じさせたに違いない。

「舞人とはどういう形であれ、目指すものはいまもこれからも変わらないですし、別々の道になれば別々の道で必ずトップを目指すと思う。それが味方であれ、敵であれ、いつかは日本代表というチームのなかで同じ目標に向かって世界で戦いたい」(大津)

「これから先、晃介は敵になるかもしれないが、そうなってもライバル同士で、どんどん協力し合って、高みを目指して、次は日本を背負えるように、あいつと2人で頑張っていきたい」(大椋)

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最後まで目指す場所は変わらなかった。これから彼らの進む道にどんな壁が待っているかは分からない。ただ、2人がどんな夢を描き、どんな選択をするにせよ、互いの存在が彼らを強くすることは変わらないだろう。幸せな時間と空気が、そう私に感じさせた。

Text =長堀 笙乃
Photo =長堀 笙乃、竹渕 大樹

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長堀 笙乃

長堀 笙乃

元体育会明治大学スポーツ新聞部のアイスホッケー部担当。スポーツ報道をしたい。そのためにスポーツが強く、新聞部のある大学を選んだ生粋のスポーツ記者。この春大学を卒業し、現在は新人記者として修行中。休日はアイスホッケーの取材に走り回っている。